2016/09/16

フリースクールが日本の英語教育を救うか

【新・英語屋通信】(76)

【Q】フリースクールに通う者にとって、英語はどう自習すればいいでしょうか?

【A】生涯学習的に言うと、フリースクールには、公立学校より有利な点が多々あります。十人十色と言うように、人それぞれ「個人ごとに学び方が異なる」からです。吉田松陰が幕末の萩(山口県)で始めた松下村塾は、いうなればフリースクールでした。わが国の近代化の礎を築いた個性的な人物が、村塾の門下生の中から数多く輩出されています。教育は本来、画一的に扱う対象ではないということです。
 フリースクールの「フリー」は、アメリカでは「無料」のことです。欧米ではカリキュラムを自由に選択して学べる alternative school のような教育システムを取り入れた場をフリースクールと言います。わが国では「不登校の生徒が通う非学校的な施設」と定義されていますが、公立校で達成できなかった技術を身に付けるには、フリースクールは最適の場と言えます。せっかく自由時間を存分に使える機会を得たのに、いじめからの逃げ場にするだけではもったいないでしょう。
 フリースクールでは検定教科書を使わずに済むので、学習者は全教科を自由な方法で学べます。歴史をはじめ、公立校での社会科の授業は、枝葉末節な事柄の丸暗記を強いるだけで、大脳皮質に貯えられる記憶が少ないため、実社会での物の役に立ちません。
 歴史学とは、人間と社会の実例を把握して、未来を生きる糧にするための教科です。授業時数が足りないからと言って、近代史を教えない学校があるとはおぞましいかぎりです。
 日本史の古代は朦朧としているので、神話以降は神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭……と50代目の桓武帝までをリズムで覚えて(よく忘れますが)時代区分の目安とし、9世紀以降の平安・鎌倉・室町・戦国・江戸までの各時代は、話の節目がわかりやすいので、世界史と関連させて、事件・人物・場所を学べば、死ぬまで使える知識にできます。
 国語は「読み・書き・直す」ことの「三多」が大切です。日本語は4種類の文字を使いこなす「書き言葉」を重視する世界でも類のない特殊な言語です。『古事記』は日本語を漢字で書いた本で、わが国の文化・科学は7世紀から大半を漢文で伝承してきました。
 したがって、ひとまず漢字の形・音・義を知ることが優先されます。桜の旧字は「櫻」ですが、「2階(貝)の女が気(木)にかかる」などと語呂で覚えたうえで、「財」に関係する「貝」偏の漢字の成り立ちを知り、その10個か20個の字義を考えながら10回か20回くらい書いて覚えれば、もう決して忘れません。
 言語は感覚だから、歌を覚えるように、古文の冒頭部分を記憶しておけば、国語力は安定します。俳優は常に筋の通ったセリフを暗記するので、話し方が上手になるのです。法律などを学ぶときには、屁理屈的な文解釈の技術が必要ですが、国語はロジックだけの学問ではないから、常識的思考の範囲で学ぶのが原則です。
 さて、学校の英語教育について言うと、現在は“無”に等しい状況です。日本人の英語力が低すぎるせいか、巷に溢れる英語塾には紛いものが多く、テレビ番組も子供騙しの非実用品です。英語は言語だから、話し言葉から入りますが、フリースクールには自由に使える学習時間が多くありそうで、しかも仲間といっしょに学べるようで、英語学習に適した環境と思えます。
 フリースクールを出た大勢が英語を使えれば、公教育側はカリキュラムを根本的に考え直さなければならず、教育界の無策ぶりが露呈されて、英語教育のあり方を改めるきっかけになるかもしれません。フリースクールを英語教育の改革の場にしたいものです。
 ただし、フリースクールから世界に冠たるスポーツ界や芸術家の逸材が輩出されることはないでしょう。そもそも練習用器材が十分にないし、指導者が少ないためにトレーニングの質を欠くし、練習量を投入できる環境にありません。もしフリースクールから世界で活躍する逸材が出るとしたら、それは別途に個人レッスンを重ねた賜物でしょう。フリースクールでは、実用的な知識と技術を身に付けるだけで十分です。
 一方、公立学校では部活がスポーツの一流選手を養成する場になったりします。理数系の教科書には必要な内容が網羅されており、消化力のあるエリートにとっては好ましい教材と言えます。学校教育にもそれなりの利点があり、学びたいと願う生徒には効率の良い場になります。
(解答は当社の社長が話した内容を編集したものです)
2016.9.16(金)